![]() 柳澤さん似顔絵 下田常三画 |
柳澤一雄(やなぎさわ かずお)さん |
中学時代に知ったアマチュア無線(ハム)が少年の夢を育んだ。日本全国はもちろん、外国のハム局とも交信できた。昭和30年代後半、まだまだ外国へは気楽に行けない時代に、自分の目で外国を見たい、外国を肌で感じたいと思うようになった。そして、大学を卒業した柳澤一雄さんは商船(外航貨物船)の無線通信士となり、約20か国を巡った。
柳澤少年は駄菓子屋によく通った。キャラメルの箱にカードが入っていて、10枚ためると鉱石ラジオキットがもらえるのだった。父に「ハンダゴテ」を買ってもらってラジオを組み立て、飛んで来る電波をキャッチし、イヤホンからラジオ放送を聞いた。鉱石ラジオは電池もなく電灯線にもつながっていないのに「なぜ聞こえるのだろう」という疑問と好奇心はどんどんふくらんだ。そして、中学生のころには図書館で「どうして?」を調べ、物理部電気班に入部した。真空管を使ったアンプやラジオを作ったりしているうちに、「ハム」の存在と「秋葉原」を知り、ますます電波の魅力に取りつかれた工学少年は、大学では無線通信を勉強した。
![]() 無線室で当直中(1970年 24歳) |
卒業してから船舶無線通信士となり商船に乗り込み、ハワイ、アメリカ本土、アラスカ、中南米諸国、フィリピン、パナマ運河を経由してヨーロッパ諸国などへの航海を経験した。大海原での無線室が仕事場だった。無線室は船の一番上にあり、万一の場合に、遭難通信(SOS)を行う役目も担っている。現在のように人工衛星なども無かった時代、船と陸上との間の情報のやり取りは、モールス通信が唯一の手段であり、「職人技とも言える早さと正確さ」が必要だった。無線室で当直中の柳澤さんの写真がアルバムにきちんと整理されている。 |
柳澤さんは、26歳で船を降りたが、GPSなどの人工衛星を利用した通信手段が整備されている現在では、一部の漁船などを除き国際航海を行う船にモールス信号を扱う通信士は乗っていないという。 |
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![]() 町内会館防災準備室にて |
無線はGPSや携帯が使えない非常時でもほんの少しの電力で世界中とつながる。東京都ご出身の柳澤さんは今泉台に住んで約40年、今泉台アマチュア無線クラブの一員として、また、鎌倉市のアマチュア無線非常通信協議会の役員として、防災活動に貢献していらっしゃる。 |
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