今泉台はこんなところ
昭和40年代に造成された今泉台住宅地は、鎌倉市の東北部、鶴岡八幡宮や建長寺の裏山に位置し、周囲を風致地区に指定された閑静な環境の中にあります。
「鎌倉湖」の愛称で親しまれる「散在ガ池森林公園」を西、南、東方向からとり囲む形で広がる「今泉台1丁目~7丁目地区」、および北鎌倉山ノ内の一部「山ノ内地区」に、合わせて 約2100世帯、5140人が住んでいます。
隣接する小・中学校、介護施設、小規模な地元商店街などに加え、付近に多くの商店街、飲食店、医療機関などが集中するJR大船駅との間は、バスが頻繁に往復して住民の日常生活を支えています。
また北鎌倉駅まで20分前後の小道は、明月院、円覚寺などに繋がる季節色豊かな散策路でもあります。
町内会活動が活発で、新年祝賀会、夏祭り、文化祭などの町内イベントに加え、町内在住の実力ある方々の演奏会、絵画、コーラス、太極拳など多くのサークル活動を楽しむことができます。
町内会の基本的な活動は町内会会則で定められており、毎年5月の定時総会で選任される役員12名(会長・副会長、総務・広報・文教体育福祉・環境衛生・施設・防災担当ほか)と監事2名がその運営に当たっています。
活動状況は、月例の班長会、毎月発行される「町内会たより」そしてこのホームページなどを通して住民に周知されます。
高齢化、孤立化など地域の諸問題を自助・共助・公助の観点から検討する「今泉台の明日を考える」活動もスタートしました。
誰もが長く住み続ける、自然に恵まれた安全・安心のまち、それが今泉台です。

今泉台の自然環境
自然を身近に感じることのできる今泉台。
住宅地の南側には、鎌倉市内で最も高い大平山(海抜157.7m)や鷲峰山から、百八やぐら・十王岩・建長寺奥の院の半僧坊などの旧跡を巡り、勝上献(147m)を経て明月谷に至る「天園ハイキングコース」があります。コースの展望台からは湘南の海に浮かぶ大島や箱根連山、富士山の全容を眺めることが出来ます。
西側には安房、上総、下総、武蔵、相模、伊豆の6ヶ国を見渡せることから名付けられた「六国見山」を中心とした森林公園があります。
そして住宅地中央部には野鳥の楽園「散在が池森林公園(鎌倉湖)」があり、周囲は住民憩いの散歩道になっています。
この公園の東北端は、弘法大師が創設したと伝えられる「今泉山称名寺(今泉不動)」に接しています。境内には夏でも水の枯れない「陰陽の滝」があるなど、辺は静寂と冷気に包まれています。
今泉台は桜、新緑、紅葉など四季折々の自然に癒され、鎌倉の寺社・旧跡、湘南の海も近く、自然と歴史に囲まれてゆったりした鎌倉ライフを楽しめる住宅地です。

散在ガ池森林公園(鎌倉湖)

称名寺の陰陽の滝

天園ハイキングコースより鎌倉市街を望む
今泉台は震災に強い
地盤の上の住宅地
南関東地方でも、近い将来大規模地震が発生すると予想されています。
鎌倉市内の予想震度は6強に達するといわれていますが、他の地域に比べ今泉台は安心です。
今泉台は比較的固い地盤である野島層(200~170万年前に堆積)と、浦郷層(300~200万年前に堆積)を切土・盛土して造成されており、大部分の宅地は固い安定した地盤の上に位置します。そして、盛土した部分でも標高の高い丘陵地形のため、水はけがよく、地下水が帯水しないため、液状化の心配もありません。
今泉台の標高は低いところで30m、高い部分は90mに達しており、河川を遡って来る津波の心配は全くありません。東日本大震災の被害は、津波によるものが大部分でした。津波が到達しなかった茨城県西部、福島県中通、岩手県中央部などでは、地震の揺れによる家屋の被害はあるものの、死者は70名弱と報道されています。
最も大きい被害は、山崩れで川がせき止められて発生する土石流によるものです。今泉台には大きな河川がありませんので、土石流が発生する心配もありません。
しかし、地震とは直接関係はありませんが、降雨が長期間続くと、住宅地周辺部の急傾斜箇所で、雨水を含んだ表土が崖崩れを発生させる危険が考えられます。この点は鎌倉市の土砂災害ハザードマップにも示されていますので、ご自宅の周囲を点検してみてください。
震災に伴う災害には、家屋の倒壊と、それに伴う火災の発生が考えられます。
今泉台では、昭和41年(1966)から分譲地への入居が始まっています。
一般的に、木造家屋の寿命は、20年から25年程度といわれています。そのため、近年建築された家屋の多くは、建築基準法が改正された昭和56年(1981)以降に建てられており、地震による倒壊の危険は低いといえます。
また、昭和48年(1973)以降、最後に分譲された地区の建物は、大手のプレハブメーカーによる建築が多く、倒壊が危惧される家屋は少ないといえます。そして、今泉台分譲地は、当初、共同下水処理を町内会で運営した関係もあり、各宅地の区画が大きめに設定されています。現在でも、50坪以下への細分化は、住民協定で認めていません。この協定は家屋を密集させず、火災発生時の類焼による大火災を未然に防いでいます。
緑の公園に囲まれ、清閑な住宅地でありながら、地震に強い立地の住宅地と云えます。

十王岩から鎌倉市街を望む

今泉台の自然と戯れ
お友達になろう
里山の造成で生まれた住宅地、今泉台。
周辺には散在が池や六国見山、天園ハイキングコースの勝上山、鷲峰山、大平山などの里山を配し、自然に埋もれし我らが街、今泉台なり、と言うところでしょうか。
今泉台の真ん中あたりに位置するグリーンベルト周りを歩いてみましょう。
6月中下旬になると、6丁目公園の右奥や散在が池南口辺りの道路脇に桑の実が。口に含むと黒紫色に染まり、初夏の訪れが楽しめます。
7月になると、艶やかな赤橙色のキイチゴが迎えてくれます。口に含んでみましょう。
7月中旬になると、ヤマモモが鮮赤から濃赤、そして黒赤色に熟れてきます。
甘酸っぱさが口の中に広がり、夏の訪れを感ずることでしょう。また、ホワイトリカーに漬け込むと透き通った真紅となり、クリスマスの頃には氷を浮かべて楽しむことが出来ます。
お盆を過ぎた頃からは、散在が池南口付近の道路にリスさんが胡桃を落としてくれます。リスさんのおこぼれ頂戴というのも悪くないでしょう。
樹の上だけでなく、切株、倒木・落枝や地面に眼を向けてみましょう。
3月に入ると、雨後に散歩しているとヒラタケに出会えるかもしれませんよ。また、この頃より木耳も姿を現します(ピークは5月,6月)。6丁目公園や散在が池南口付近の道路脇、あるいは皆さんの庭木の枯れた枝に見ることが出来るでしょう。




今泉台町内会
夏祭りのあゆみ
今では夏の風物詩となっている今泉台町内会の夏祭り!ごく初期から今泉台町内会の夏祭りにご尽力いただいた3丁目にお住まいの海辺さん、7丁目にお住まいの谷本さんに現在の夏祭りに至るまでの経緯を伺ってみました。大昔は町内会役員主導の小規模な盆おどりだったようですが、昭和56年頃からやや組織的な動きが出てきたとのことです。それ以後の経緯は概ね下記の通りです。さらに詳しい経緯をご存知の方は町内会まで情報をお寄せください。
次のような経緯をたどって今日の夏祭りの姿が定着してきたようです。多くの方々のご苦労やお志の積み重ねによって、今の姿になった夏祭りを、今泉台住宅地の住民全体で守り育てて、地域を盛り立てる糧に しようではありませんか。




昭和56年
第3回神奈川県お神輿コンクール出場第3位
関内の公園から伊勢崎町商店街を練り歩いて順位を競ったもの。 県から子供会に白木の神輿が寄贈され、これを本神輿に仕上げて参加。
昭和57年
町内会に管理を任された神輿を夏祭りに導入。
昭和58年
「お祭り同好会」を結成
毎年新役員だけの盆踊り大会開催は重荷と言う事で、役員経験者や祭り好きのメンバーで「お祭り同好会」を結 成。
ポスター展を開催 募集したポスターを会場に貼り出し、皆で当日使用するポスターを決定。
リヤカーの山車を計画、実施。今泉の長嶋さんにリヤカーを借りて山車を作り、盆踊り大会に神輿とともに 練りだす。
昭和59年
盆踊り大会を「今泉台夏祭り」と名称変更時期を8月第一土日と定める。
同好会メンバー自費でハッピ、浴衣をそろえる。
リヤカー山車2年目。
昭和60年
山車1号完成。当日町内会広場でお披露目、そして出発。
町内会用ハッピの購入開始。
昭和63年
大太鼓購入
毎年レンタルに苦労していた大太鼓を多くの方の寄付により購入。
平成2年
町内会役員さんにより、夏祭りを大改革。 役員さん主導で、班長さんの全員参加、夜店を子供会やサークル単位で出店。
役員さんが引き取りことになり、いろいろ戸惑った年でもあったが、この改革が現在の夏祭りの基礎となる。
平成3年
初代太鼓の指導者、大塚健一君が中学のブラスバンド仲間等をさそい、子供たちへの太鼓指導の基礎が出来る。
長い間盆踊りをリード・指揮してこられた「桧会」メンバーの減少により 森先生の指導のもと、お祭り同好会が太鼓と併せた盆踊りを担当。
平成10年
神輿寄贈の申しいれ。
熱海の施設に入所しておられる横山さんより、「今泉台の子供達にお神輿を寄贈したい」というお話を頂き会長とともに お会いしたところ、「養子さんのために用意してあった二百万円を、自分の一番好きな様に使って欲しい」と彼に言われ、考えた末に、以前住んでいた大好きな今泉台の子供達に自分が幼い頃鎮守の森で味わったあの懐かしい樽神輿をかつがせてあげたいと思いました」という有り難いお申し出だった。
時代の差で樽神輿は無理なので、神輿は現在のものにし、その代わりに山車にその想いを取り入れさせていただくこととなった。
平成11年
新神輿購入・山車2号完成
前年度より発注してあった横山さん寄贈による新神輿と、その想いを随所に組み込んだ山車が完成。神主さんを招いて初めて正式な”お払い”を執り行う。
盆踊りはステージから櫓に戻る。
平成2年より催し物の為ステージになっていたものを盆踊り用の櫓へ変更。同好会にとってはうれしいことだった。
ここまでがお祭り同好会結成以来の経緯です。 最初の神輿作り、リヤカー山車・山車第一号・山車第二号は臼井さんなしでは出来なかったものです。
その臼井さんは平成16年3月3日に87歳で亡くなりました本当にご苦労様でした。 そして有難うございました。
平成21年
町内会館建替えに伴い旧町内会館敷地が使えるようになりました。